e校歌
校歌の内容
一番歌詞黎明の加賀の空
医王の丘 医王山(いおうぜん)は、星稜高校の東に位置する。この地を流れる金腐川(金鎖川)は、医王山の一角にある戸室山を源流として、河北潟に流れこんでいる。この医王山は、養老元年(717年)年、白山を開いた泰澄大師が、養老3年(719年)この山に登り、薬草が多いことから、唐の育王山にちなみ育王仙と名付けた。養老6年(722年)、当時の天皇(元正(げんしょう)天皇)が大病にかかられたので、大師がこの山の薬草を献じたところ快癒された。天皇は大いに喜ばれ、泰澄は神融法師の称号を賜り、山は医王山と命名された。 真理の門高く、希望に生くるわれら この歴史・文化・自然の融合する星稜高校で「真理を求める姿勢」、すなわち真心を大切にして人の行うべき正しい道を学び求めてこそ、希望や夢に向かって歩む人生を送れる。
二番歌詞小坂の野 小坂の名前の由来は、昔小坂庄という荘園があり、その名からついたのだという。江戸時代初め、金沢城の大手堀左側にある門を、大手門もしくは尾坂門といった。この門の近辺に小坂村があったことから「おっさか」ともいった。城下町の拡張にともない、小坂村は現在地に移転、呼び名も「おっさか」から「こさか」とかわった。昭和11年(1936年)に河北郡小坂村は金沢市に編入され、小坂町となって現在にいたる。河北郡とは、もともと浅野川より東の地域を指していた。小坂町の隣町には御所町がある。その名の由来は建武(けんむ)年間京都から国司としてやってきた二条師基(もろもと)という公家が居を構えたことからであるという。伝統のある地域である。 うすくれなゐの蓮の花
さとしの姿 (漢字では悟しの姿) 迷いからさめ、真理を会得した境地に到達すること。仏教用語である。 「蓮の花」と「さとしの姿」と「平和の光」の関連 蓮の花が仏教と結びついたのは、釈尊の誕生の際、蓮の花が開いてその瞬間の到来を告げたことが起源になっている。蓮は決して美しい環境とは言えない泥の中に美しい花を咲かせ、私たちの心を和ませてくれる。つまり、泥とは今私たちがいるこの世界を示し、蓮の花は「さとし」を表現し、平和のシンボルとなっている。すなわち争い事のない安全で安心な学校であることを望んでいる。校舎内のモニュメントや壁画からはその蓮を連想させる。蓮の花言葉は「救ってください」である。
三番歌詞銀嶺遠き北の国 銀嶺とは雪が積もって、銀色に輝く山という意味、霊峰白山・医王山に対する言葉として、その山がある北の国すなわち石川県の意味を指す。作者藤田氏は大阪の出身であり、彼の生い立ちを考えると、「境・はて・かぎり」の意味をもつ銀を前提に、比叡山延暦寺(北嶺)よりさらなる北という思いを表現したのではないだろうか。遠い北の国ともとれるのである。文学者、詩人としての藤田氏は、どのような思いで作詞されたのであろうか。 三稜の星章 知・徳・体の基本方針をもとに「誠実」を具現化するため表現した言葉である。
北の国のこの地で、知・徳・体をもとにした真理の道を求める心こそ、我らの誇りである。 つとめは重きわれら 今、星稜高校生としてするべきことは、真理の道を追求するための勉強である。生徒それぞれ歩むべき道は違うが、これを達成していくための使命や責任は大変重い。建学の精神にある「社会に役立つ人間」として成長していくことを期待しているのである。
最後に
初代校長、松田覚神(まつだ かくしん)先生は「第一に諸君は高校入学の真の目的をしっかり考え勉強に全力をつくしてほしいと思う。 諸君は勉学するために、本校に入学したはずである。諸君の知能のすべてをかたむけてこの三年間に高校生としての学力を充分に身につけなければならない。・・・
文:風間幹栄
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